「お接待」
子供の頃、お正月やお盆以外に楽しみにしていた日が年に2日あリました。それは「お月見どろぼう」と子供だけでも「お接待」が許される日・・・「弘法さん」の日でした。
同世代の方ならご理解いただけると思いますが、おやつが今ほど自由になかった時代にこの「弘法さん」の日の「お接待」という言葉には特別な魅力があったものです。
「弘法さん」は、弘法大師(空海)の命日(入定した日)を偲んで行われる御影供で、この地方でも講元の家では駄菓子が振舞われ、子供たちが走りまわっていた記憶があります。
たまたま縁があって、その弘法大師ゆかりの地である、香川県小豆島への里帰りの折に詣でた霊場で、子供の頃と同じ「お接待」を受けたのです。それが、山岳霊場のひとつであり、年明けに何度となく家族で参拝した42番霊場の「西の瀧」でした。
小豆島の八十八ヶ所霊場は、弘法大師が都へ上京する時・また故郷香川県善通寺に帰る時に立ち寄ってできたといわれています。
また、南北朝時代後鳥羽上皇が隠岐へ流刑された後、家臣が修行僧とともに小豆島へ入り、山岳霊場をひらいたともいわれ、弘法大師の流れと、山岳修験の流れとが現在の小豆島の霊場を形作ったものと考えられています。
「島四国」とも呼ばれ親しまれている小豆島霊場は、行程が四国霊場の10分の1、車なら2~3泊の手軽さということで、一年中多くのお遍路さんが訪れているそうですが、その中でも山岳霊場は密教特有の荘厳なロケーションの中で、非日常の空間と静寂を感じられずにはいられない霊験あらたかな世界です。
島四国が定着し、庶民の巡礼が広がり、遍路宿もできてきたのは18世紀から19世紀と見られているそうですが、今のような遊び半分の旅など許されない時代で、島民は遍路さんを接待して迎えたといいます。現在も残る「お接待」はこの時代から続くものだと言われていますが、この言葉の意味を改めて考えさせられたような気がします。
| 固定リンク
コメント