懐かしい風景
この階段を上ったのは十年ほど前のことだったような気がします。
香川県琴平町琴平山の中腹に位置し、「こんぴらさん」の名前で親しまれている金刀比羅宮は大物主神(おおものぬしのかみ)を祀り、初め琴平神社と称しましたが1165年崇徳天皇を合祀し、金比羅大権現と改称しました。その後の明治元年神仏混淆が廃止され、金刀比羅宮と呼ばれ今日に至っています。
大物主神は、万物をつかさどることをたたえた神名の通り、五穀豊穣や産業、文化などの繁栄と、国や人々の平安を約束してくれる“海の神様”として広く親しまれています。
旅行を禁止されていた江戸時代、庶民にとっては一生一度の夢が「お伊勢参り」。それに 並び、「丸金か京六か」と言われた、讃岐の金毘羅大権現(現金刀比羅宮)と京都六条の東西本願寺への参拝の旅も人生の一大イベントでした。
参道の入り口から大門までの段数は1年の日数と同じ365段で、この門を抜けると、それまで両脇に並んでいた土産物屋がなくなり、古来より境内での商いを許されている「五人百姓」と呼ばれる5軒の店がべっこう神代飴を並べています。
参拝後の休憩に、名物讃岐うどんをどこの店で味わおうかなどと、悠長に上り始めたのは最初のうちで、そのうち暑さと足の張りでわが身の衰えを実感することになってしまいました。
今回の参拝で初めて知ることとなった史実の一つに、保元の乱で讃岐の地に流され、この地で崩御された崇徳天皇と金刀比羅宮との関わりがありました。
悲劇の天皇として語り継がれた崇徳天皇が、幾度となく参拝を重ねたというこの金刀比羅宮の石段は、その無念の思いをはたしてどのように受け止めたのでしょうか?
訪れた地の歴史を垣間見ることで、次回参拝の折には、それまでと違った思いで石段を踏むことができるかも知れません。
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